私の平凡な人生の記録

私(還暦)の小さい頃からの思い出を日記にしていきます

友達作るのが、相変わらず下手でした

僕は、その頃でも人付き合いが苦手で、どうやって仲良くなっていいかわか
らない。

 

で、取った作戦が、嘘をついて気を引くこと。

どういう嘘をついていたか、具体的には思い出せないんだけど、というか、
何が嘘かわからないくらい、嘘をつきまくってました。

 

嘘をつくと辻褄を合わせるためにまたウソをつかなきゃならない。

 

挙句の果ては、小学校で言うことと、家に帰ってから近所の子に言うことが
まるで逆なわけですよ。疲れますよ、これ。

 

僕は小心者で、クラスの中では目立たないやつでした。長付き合って見てき
た学校の連中は知ってるから、でかいことは言えない。

 

学校から帰ると、わざと明るくして学校でも人気があると言い、勉強もそこ
そこしかできないに、すごくできるふりをする。要するに知ったかぶりする
わけです。

 

まあ、そのふりのおかげで、勉強せざるを得ず、成績も上がってしまいまし
たけどね。

 

遊びは、虫捕りや魚捕りとか、自然相手のことが多かったですね。家の近く
で捕った小魚を学校に持ち込んで、丁度教室にあった金魚鉢で飼うなんて
こともしてました。

 

魚なんか持ち込んだから、怒られるかと思ったら、先生が褒めるわけです。
よく持ってきたねえ、皆にお土産でもってきたんでしょ、なんてね。

 

それで、先生金魚鉢の水なんか替えたり世話してくれて。

 

机の中で、アゲハチョウの幼虫を飼ってたこともあったなあ。カラタチの
枝を折って、そこに幼虫を一緒にしてね。丁度、父親が亡くなってしまっ
て、幼虫をそのままにして、学校を休まざるを得なかった。

 

学校に戻ると、おめ、ちょうちょ飼ってたべ。机開けたら飛んでいって皆
びっくりしたんだぞ。

 

やべえ、こりゃ先生に怒られるなあ。そう思ってたんですが、結局、何も
言われませんでした。事情が事情だっただけに、怒るに怒れなかったって
ことでしょう。

 

ガンやカモってお米をバクバク食べるんです

住んでいた団地の近くは、水鳥の飛来地になっていて、秋も深まるとやっ
てきます。

シベリアあたりからやってくるという話でした。鳥には国境はないんですね。
国境って人間だけが勝手に作ってるもんだな、なんて思ったりして。

そして、鳥は鳥目っていうくらいだから、夜に目は見えないのかと思ってた
ら、夜の方が飛んでることが多いんですね。何とも言えない声を発しながら
夜飛ぶ姿。月夜だと幻想的ですよ。


僕のいた地方は、コメの収穫が遅くて、まだコメが干されてる頃に、ガン、
カモの一番隊がやってきます。

田んぼに降り立った、ガンやカモは、よほどお腹が空いてるんでしょうね。
干してあるコメをこれでもかと、バクバク食べだすんです。いやあ、すごい
勢いですね、あれは。

おいおい、お百姓さんに見つかったら、殺されるぞ、そう思ったら、保護区
でした、その辺は。

お百姓さんは、追い払うのに精一杯。でも、ガンやカモも馬鹿じゃない。

いなくなったスキを狙ってやってくる。田んぼを畦で囲った一区画は、コメ
がまるっきりなくなってたかなあ。

うらやましいぜ、コメ泥棒め。おいしい米を腹いっぱいくえるなんて。

なんてね、思いませんでしたけどね。

生米なんて食う気しないぜ。

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友達作るのが、相変わらず下手でした

僕は、その頃でも人付き合いが苦手で、どうやって仲良くなっていいかわか
らない。

で、取った作戦が、嘘をついて気を引くこと。

どういう嘘をついていたか、具体的には思い出せないんだけど、というか、
何が嘘かわからないくらい、嘘をつきまくってました。

で、嘘をつくと辻褄を合わせるためにまたウソをつかなきゃならない。

挙句の果ては、小学校で言うことと、家に帰ってから近所の子に言うことが
まるで逆なわけですよ。疲れますよ、これ。

僕は小心者で、クラスの中では目立たないやつでした。そのことを長く見て
きた学校の連中は知ってるから、滅多なことは言えない。

大人の世界はいろいろあるさ

前回に続き、川の水をホースで汲み上げて、蛇を触らせてくれた、おっちゃんの話。

 

僕はなんで川に水を汲んでたのか、不思議に思い聞いてみたら、顔をちょっぴり歪ませて、

 

「うん、まあ、あれだ、こうすっと、儲かんのさ」

 

僕はそれ以上聞くのをやめました。

 

おじさん、汲み取りの車からホース伸ばして、水吸い上げてたんだもんね。

 

ずるさも必要なんだろうな、僕はなるほどなと思いましたよ。

 

小さな子がそう思うわけない。そう思いますか、いえいえ、思うんですよ、実際。


田舎での暮らしは面白いことばかりだったんだけど、嫌なことありました。

 

野良犬がね、ホント多かった。いや野良犬じゃないのかな。普通に放し飼いされてましたからね、当時は。

 

駅から降りて家までの道、もうね、7,8頭はいましたね。怖くてね、僕が小さい頃、まあその頃も小さかったですが、さらに小さな頃、犬に太腿を噛まれて怪我したことがあって、それ以来、犬が怖くてたまりませんでした。

 

それ以来、母は、あいつら畜生だからな、何も考えてねえんだ。いきなりガブだからな、いつもそう言い、犬が心底嫌いになったようです。

 

猫も多くてね、引っ越した家の外には、当たり前のよう猫がいて、小さな縁側があったんだけど、そこに寝てたりしてましたね。

 

猫は皆大人しくて、触っても嫌な顔もしない。そんな猫をドンドン好きになっていきました。たまたま、そういう性格の猫だったんでしょうね。

 

そんな猫たちなんですが、嫌われ出していくんですねえ。

 

団地は庭がついていて、池を作るのが流行っていったんです。そして池といえば魚がつきもの。金魚だったり、鯉だったり。

 

それが夜になると、皆いなくなってしまう。猫が獲物にしちゃってたんです。

 

猫の居場所がなくなっていき、気づけば見なくなっていました。

 

そういえば、犬も減っていってたかもなあ。どんどん田んぼが減って、お百姓さんも、犬の放し飼いをしなくなってました。

 

家が増えて、放し飼いができなくなって行ったんでしょうね、きっと。

 

 

 

 

初めて見た蛇は怖かったんですが・・・

小学校の2年生が終わる時、僕は先生方にお別れの挨拶をしました。もう
転校することに決まってたんです。僕もすっかりそのつもりだったんです
が。

ところが、なぜか3年生になって、また前の学校に行くことになりました。
今度は電車通学です。

何も知らず学校に行ってまずは職員室位へ。

すると、僕はそんなこと言ってないのに、先生が、

「やっぱり、ここが良かったんだねえ、でもどうして」などと聞くんです
ねえ。

ええ、どうしよう、僕が言ったことになってるんだ、そう思いました。

困っていると、別の先生が、「なにか事情があるのよねえ、」そういって
くれたもんだから、

「だってね先生、向こうの学校、歩いていくと、ここより遠いんだもん」、
なんてね、とっさに言ってしまいました。

学校がどこにあるか、全然知らなかったんですけどね。

事実、徒歩だと30分以上かかったんですねえ、その学校は。口からでま
かせ人生の始まりは、ここからだったか。

随分後になって、その事を親に聞くと、進学する時に全然違うんだそうで
す。学力の差が、街の中心部と郊外では、雲泥の差があったんで、先々を
考えて、転向させなかったらしいのです。

で、そういうことを理由にしたくなくて、僕が転校を嫌がったということ
にしたんですね。勝手に。

言えよ事前に。ほんと、そう思いましたよ。

あれれ、蛇の話が出てこないな。

話が長くなってしまいましたんで、手短に。

3年生になって間もない頃です。電車から降りて川のそばにくると、なに
か長いものがにょろにょろ。ミミズのでかいのかなあ、そう思ってると、
近くで仕事途中らしい男の人が、ホースで水を吸っている。

その男の人が手を止めて、その長いものに気づきました。

そして、ヒョイとつまむと手のひらの上に。

オイ、見てみるか? の声。覗き込むと、そこにいたのは、小さな蛇。

「怖くないの?」、僕が恐る恐る聞くと、

「怖くねーだろう、こんなちっちぇの、可愛いもんだよ」

蛇は怖いもんだという先入観で一杯だった僕ですが、手の上に乗せてもら
って見ると、意外に可愛いな。

それが、僕の感想。

以来、蛇は怖くなくなりました、というより、好きになった瞬間でした。

生活が激変しました

小学校の2年生が終わる頃です。いきなり勝手口の戸をどんどん叩く音が
しました。

「まだ、出て行かないんですか、早く出て行け。約束だ」という声。隣の
おじさんの声です。

そして、部屋の外から板を打ち付けていきます。住めないようにというこ
とでしょう。玄関からさっさと出て行け、ということだったんでしょうね。

何日間か、ドンドン状態。そういう人だったんだ、この人は。人の恐ろし
さを実感した出来事だったなあ。

そして、どのくらいでしょうね、半月くらいして、引越しが決まりました。
郊外の団地に入る抽選に当たって、やっと住む先が決まりました。

団地って言ったって、まるで田舎です。田んぼはあるわ、川は近くにたく
さんあるわ。川に魚が泳いでる姿を初めて見ました。

昔はねえ、メダカは水面近くに当たり前のようにいて、その下を少し大き
な魚がこれまた当たり前のようにいて、トノサマガエルやアカガエルなん
かが、水の中にバッチャン、バッチャン飛び込んだり、泳いだり。

いやあ、面白かったですね。もうすっかり夢中になってしまいました。

魚だけじゃありません、用水路なんかの水草の中を探すと、タガメや源五
郎、ミズカマキリなんかがあちこちに。

今では見ることができないでしょう、なかなかね。

そして小学校の3年生、僕はてっきり近所の小学校に行くものと思ってた
んですが。

恥ずかしい思い出がいっぱい。

僕は幼稚園に行かずに、小学校に入りました。

いやあ、恥ずかしかったですね。幼稚園に行ってなかったことじゃなくて、
何も知らないわけですよ。

集団行動での約束事も、躾なんかも何もされてなかったし。

そして、歌なんか何も知らないんです。その頃でも、近所の子は幼稚園に
行ってましたから、みんな知ってるわけですよ。その中で一人だけ知らな
い。

ほんとに恥ずかしかったなあ。歌わずに頭掻いてポリポリ、フケがパラパ
ラ落ちたりして。

そうだよなあ、1週間2回だけだもん、風呂は。お兄ちゃんに連れられて
行ったんだけど、お兄ちゃんがサボれば、全然入らなかった時もあった。

それでね、友達作りも苦手なわけです。同じ年の子は幼稚園に行ってるわ
けで、ほとんど遊んだことがないわけですから。

それでもね、人付き合いのいい子はいて、遊びに誘われたりしました。
積極的な子はいるんですねえ、元々の性格なんでしょうね、これは。

何がびっくりしたって、給食が出るわけです。貧乏だったんで、こんなに
食べることが出来るんだってことがびっくり。そして脱脂粉乳。みんな、
まずいって言ってたけど、僕にはご馳走そのものだった。

余ってたら貰ってましたよ。

それから、歯を磨くんだってことも、学校に行って初めて知りました。

そんなことってある? そう思いませんか。でも、うちでは、そんなこと
言われたことは一度もありません。

だって、歯ブラシ自体ないんだから。

そして、1,2年生の時はなんとなく過ぎて行きました。

う~~ん、思い出? ほとんどないなあ。同級生の顔も覚えてないし。

そして、今度は今までの生活が、超ド級で変わりました。

前世の記憶?

僕には小学校に入る前の記憶がほとんど残ってない。
おそらく貧乏だったから幼稚園にも行ってないのも
影響してるんでしょう。

もう前世の記憶かってくらいですよ、その頃の記憶
っていうのは。


今思うとですが、自分の家と、その周囲50mくら
いの範囲だけで暮らしてたんじゃないかな。

家は2件が繋がっていて、いわゆる長屋状態。部屋
が2つで小さな家だと思うんだけど、子供だからね、
そんなに小さくは感じなかった。いや、広く感じた。

6畳と、4畳半、それと小さな台所があって、それ
がすべて。

夜寝る部屋の脇にトイレがあるんだけど、昔のだか
ら臭くてね、アンモニア臭が部屋に漂っていた。

その頃の記憶が断片的に残っていて、当時は通りに
面してたんだけど、まだ舗装されてなくて、お百姓
さんが馬に荷車引かせてやってくるわけ。

その馬さんがパッカパッカと足音立てて歩くのが、
面白かったというか、印象に残ってますね。

そして、馬さん、オスで、あの部分が異様に大きい。
そして、いきなり大きな音を立ててジャー~~。

その勢いにもびっくりしたなんて記憶があるなあ。

縁の下はがらんどうで、今みたいに、コンクリート
で覆ったりはしていない。だから猫なんか、雨風を
凌ぐ場所には困らなかったんじゃないかな。

もっとも、僕は猫は見たことなかったけど。いや、
見たけど、記憶がないだけかもしれない。

おとなりさんとは仲が良くて、そこの息子さんが
僕より少し年長で、よく遊んだりしたものです。


ところが、ある時を境におかしくなってくる。お隣
さんが、塀を作ってしまったんですよね。気軽に行
き来してたのができなくなってしまった。

そして、そこの息子さんも、僕を見ても知らんぷり。
今思えば、親に言われたんだろうなあ、隣の子とは
遊ぶな、とかね。

そして、小学校に上がる前、劇的な変化が現れます。

通りが舗装されたんです。変わりましたねえ、あっと
言う間です。車が行き来するようになって、馬さんも
来なくなってしまった。

僕の家は、今は大きな街のほぼ中央にあったところで
す。土地開発でも、話が進んでいたようです。

今にして思えば、その頃から、土地が売られ、お百姓
さんはどんどん少なくなった。そして、お隣さんが、
うちと仲が悪くなったのも、それが関係していたんで
しょう。なにしろ、お隣さんからの借家だったんです
ね、家が。これも後から知ったことです。

そうだ、風呂は近くのお爺ちゃんの家まで行って借り
てましたね。

そんなこんなで小学校を迎えました。